朝カフェ(2020年12月)  励まされ、支えられながら、その先へ

朝カフェ(2020年12月) 励まされ、支えられながら、その先へ

週末、時間があれば豊平川沿いを趣味で走っている。2019年夏からだから、もう1年半ほどになる。

走りだすとすぐに止まりたくなり、まだフルマラソンを走りきる自信も力もない。そんなぐうたらランナーでも続けている理由の一つは、コースの魅力にある。視界いっぱいに広がる空、豊かな川の流れ。夏は草いきれを鼻に感じ、秋は色づいた落ち葉をシャッシャッ、と踏みしめる。余裕などないつもりが、意外にも札幌の四季を楽しんでいたのかもしれない。

冬は、雪の堆積場になるため通行できなくなる河川敷に代わり、堤防の上の歩道を走る。そこで昨季気づいたのが、ある看板だった。

道路沿いの生コン工場の建物にそれはあった。「歓迎 走れ札幌」と書かれた縦型と横型の二つが、ランナーの見上げる位置に据え付けられている。近づくほど、武骨で冷たい雰囲気だった工場に励まされている気持ちになる。

工場を持つ岡本グループによると、看板を設置したのは20年1月。東京五輪のマラソンと競歩の札幌移転が決まってまもないころだが、ここはどちらのコースでもない。なぜ設置したのだろう。

中核の岡本興業(札幌市南区)に尋ねた。「五輪はもちろん、新幹線の札幌延伸を歓迎する意味もあります。市民ランナーも含め、いろんな『走る』を支えたい」と管理部長の五日市修さんは言う。

「コロナに負けず、頑張っていきましょう‼」。東京と行き来した機内で、乗務員にもらったキャンディーの紙コップに、自筆らしい文字があった。利用者が減って減便を強いられ、自身も不安を抱えているだろうに。そのコップは今も机上に置いている。

気づかないうちに私たちはだれかに励まされ、支えられている。コロナ禍の闇はいつ明け、その先に何があるかまだ見えないが、そんなだれかを励まし、支えることこそ自分の仕事、と胸に刻む。

朝日新聞北海道報道センター記者 片山健志

 

【写真説明】

生コン工場の建物に掲げられた「歓迎 走れ札幌」の看板=札幌市南区

 

四半世紀を経て、「モエレ沼」再訪

四半世紀を経て、「モエレ沼」再訪

札幌に今年4月、初めて赴任した。5年ぶりに取材の第一線に戻った私にとって、再出発の地だと感じている。このまちについて真っ先に思い浮かんだのは、彫刻家イサム・ノグチが基本設計を手がけた「モエレ沼公園(札幌市東区)」のことである。

ノグチは1904年、日本人の詩人の父とアメリカ人の教師の母との間に生まれた。米や仏などで彫刻家として活躍し、日本でも大阪万博の噴水などを制作した。

公園の公式サイトによると、「大地を彫刻する」という構想を温めてきたノグチは88年3月、初めて札幌を訪れ、不燃ごみの埋め立て地を公園にする計画を知る。「人間が傷つけた土地をアートで再生する」と、札幌市からの設計の依頼を引き受けた。短期間で基本設計を完成させたが、その年の12月、急病で亡くなった。

私がここを初めて訪れたのは、新聞記者になる半年ほど前の95年のこと。現代美術鑑賞が趣味で、「公園全体がひとつの彫刻作品」というノグチの構想がどんなものか、確かめたかったのだ。当時は遊具エリアの一部が公開されていただけだったが、99段の花崗岩の石段がある「プレイマウンテン(高さ30メートル)」は完成しつつあった。いつか全容を見たいと思った。

翌96年にプレイマウンテンなどが完成して一部開園し、ノグチの没後17年の2005年にグランドオープンした。だが、私は記者生活を通じて再訪を果たせないできた。

コロナ禍で一部閉鎖された公園を再訪できたのは今年5月5日。約190ヘクタールの敷地に、ノグチが生み出した巨大な造形物たちが配置されている。不燃ごみと建設残土を積み上げたモエレ山(標高62・4メートル)に登り、札幌のまちを一望した。

四半世紀を経て、再びノグチに導かれたような気がしている。このまちから、北海道の魅力を全国に発信していきたい。

 

朝日新聞北海道報道センター次長 野田一郎

(写真説明)

モエレ山はふもとからの高さが52メートルで、札幌市東区唯一の山。ノグチの生誕100年にあたる2004年に完成した

新人記者、やっています

新人記者、やっています

川村さくらと申します。23歳です。この春入社し、札幌に配属となりました。はじめに読者のみなさまに感謝をお伝えしたいです。ものを書き、外へ出しても、それは読んでいただいて初めて「記事」として成立すると思います。日々のご愛読、本当にありがとうございます。さらに私のこんな文章にまで目をやってくださったことに感謝です。

通常の紙面では記者個人の自己紹介や暮らしなどについてお伝えする機会はそうありません。今回はこの場をお借りして、私個人についてお伝えします。今後記事の署名で「川村さくら」の名前を見たときに、「あの子が書いたんだな」と思い浮かべてもらえたらとてもうれしいです。

出身は福岡、大学は京都でした。初任地について、「九州から関西ときたら、次は北海道かな」と希望を出してみたところ、念願かなっての札幌勤務となりました。事件事故などの警察を担当していますが、それ以外にも自分が気になる話題について取材しています。

入社して半年間は本当にあっという間でした。新型コロナウイルスのため、初めての土地で2カ月の在宅勤務に始まった暮らしは、ずいぶん孤独でした。4月、雪降る空を見上げ「さびしい」と感じ泣いていたこともありました。しかし最近は少しずつ対面で取材する機会も増え、取材先の人と直接お話できることがとてもうれしいです。

取材以外では札幌聖心や藻岩高校で進路講演をさせていただき、高校生のみなさんとおしゃべりもしました。

私はこの仕事の「この世のあらゆる人々とお話できる」という要素にひかれて働いています。札幌に勤務している間に、今これを読んでくださっているお一人お一人とも、どこかでお会いできたら幸いです。今後ともご愛読、お願い致します。

朝日新聞北海道報道センター記者 川村さくら

 

【写真説明】

網走市へ出張に行った際に立ち寄った卯原内サンゴ草群生地で

スポーツ雑記10月号

スポーツ雑記10月号

10月の声を聞くと、毎年待ち遠しい〝ある会議〟が開催される。そう、皆さんもおなじみの「プロ野球ドラフト会議」だ。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため開幕が遅れたリーグ公式戦が、セ・パともに11月上旬まで日程が組まれているが、同会議は10月26日に開催される。注目したいのは苫小牧駒大4年の主将でエースの伊藤大海(ひろみ)投手だ。鹿部町出身の同投手には北海道日本ハム初の道産子1位指名の期待も膨らんできた。
9月24日に行われた北海道6大学野球秋季リーグ優勝決定戦で伊藤投手は4回途中から救援、5回3分の2を投げ、東農大北海道打線を6奪三振無失点に抑え3-1で勝利に貢献した。チームを18年春季以来3度目のリーグ優勝に導いた同投手は、試合後にプロ志望届を提出。18、19年侍ジャパン大学代表入りしている最速155キロ右腕には、すでに日本ハムをはじめ7球団から調査書が届いているという。
04年に北海道移転した日本ハムはこれまで道内チームに所属する選手としては、06年に駒大苫小牧高の田中将大(楽天―現ヤンキース、兵庫・伊丹市出身)を1位指名しているが、北海道出身の選手となると12年3位の鍵谷陽平(現巨人、七飯町出身)が最高。その年1番の選手を1位指名するという球団方針もあり、ファン待望の「夢」の実現はされずにきた。しかし、23年3月開業に向け現在北広島市に新球場「北海道ボールパーク」を建設中で、道産子を次世代のエースに育てたいという同球団の思惑とも合致する。
鹿部町出身といえば「奇跡のリリーバー」と呼ばれ、45歳の若さで逝った盛田幸妃さんを思い出す。盛田さんも1987年ドラフトで横浜太洋に1位指名され活躍した。少年時代には盛田さんが主催する大会に出場し、本人から賞状を受け取ったという伊藤投手、次なる目標は明治神宮大会(11月20日から)出場をかけた札幌6大学リーグ優勝チームとの代表決定戦(10月12日から)だ。「代表決定戦に勝ってドラフトでいい知らせをもらって明治神宮大会に行く。それが最高のビジョン」と話すプロ注目右腕の奮投から目が離せない。<日刊スポーツ長内 準>

<写真説明>

北海道6大学野球秋季リーグ優勝決定戦で東農大北海道打線を4回途中から登板し、無失点に抑えた苫小牧駒大の伊藤

スポーツ雑記9月号

スポーツ雑記9月号

コロナ禍で史上初の試みとして8月10日から17日まで開催された「甲子園高校野球交流試合」は、16試合がどれも熱戦で見ているものを感動させてくれた。とりわけ、帯広農が、高崎健康福祉大高崎(群馬)を4-1で破り、甲子園初勝利を挙げた1戦はお見事だった。21世紀枠のチームが地区代表チームに勝つのは15年松山東以来5年ぶり。相手は昨秋の関東大会優勝、明治神宮大会準Vの強豪校だったが、臆することなく「堅実野球」で大きな1勝をつかんだ。
とにかく笑顔で、とにかく全力で。82年夏以来38年ぶりとなる大舞台を満喫する帯農ナインの喜びが、こちらにもひしひしと伝わってきた。コロナ禍で5月20日に夏の甲子園中止が決まった際、3年生部員の大半が引退を考えたという。6月上旬に北海道独自大会開催が決まり、再び前に踏み出した。引退を考えた1人だったという主将の井村塁投手(3年)は「帯農の伝統を受け継ぎ、最後に甲子園で勝てて良かった」と喜んだ。
農業校ならではの取り組みが実った。冬場、野菜を管理する雪室を実習室につくる作業がある。スコップでコンテナに約10キロの雪を詰める作業をひたすら繰り返す。足が不安定な中での作業は下半身強化につながった。大豆の選別実習は約1時間、ピンセットや指を使って、傷のあるもの、サイズが足りないものを休みなく仕分けする。これが集中力を養うのに役立ったという。
また、部員の半数が農家の後継者であるため、コロナ禍で学校のグラウンドで練習できない期間は、実家が農家の選手は広大な敷地を使って体力維持に努めてきた。ビニールハウス内でキャッチボールを続け、ボール感覚を忘れないようにしていた選手もいた。3回、5回、6回のいずれも無死一塁のピンチを併殺で打ち取る堅守につながったのだろう。
敗れたとはいえ、しんがりの最終戦で登場した白樺学園の戦いぶりも本当に素晴らしかった。また、惜しくも甲子園には出場できなかったが、南北海道大会を制した札幌第一、北北海道大会を制したクラークの〝特別な夏の覇者〟の選手、指導者の皆さんにもひときわ大きな拍手を贈りたい。さわやかな旋風を甲子園に巻き起こした帯広農、秋の地区大会(十勝支部は9月12日開幕)を目指し新チームが20日に始動した。

<日刊スポーツ長内 準>