インフル発症で感じた「認知度」の大切さ

インフル発症で感じた「認知度」の大切さ

11月末、インフルエンザに感染しました。早めの流行に巻き込まれ久しぶりに40度の熱に苦しめられました。

思い返すと、以前に感染したのは30年も前の中学生の時。当時は風邪と同じ扱いだったと思います。授業中に強烈な寒けに襲われたのですが、先生は「温まってな」とストーブ近くに席を移してくれただけでした。今ならすぐに診断、登校停止でしょう。

これは社会の認知度の違いによるものだと思います。知っていることには対処できるけど、知らないと対処できないのは当然です。インフルも症状や影響が社会的に知られたから、対処法が確立されました。だから未知のものを形として知らせることは、僕たち報道機関にとって重要な役割の一つだと思います。

同じような例に「熱中症」があります。少し前までは暑い中で体調不良になっても「水飲んで休めば治る」でした。生死にかかわる症状で、猛暑の日は活動を避けようとなったのは、認知の高まりのおかげです。東京五輪のマラソンが札幌に来たのには驚きましたが、社会が良い方向に進んだ結果だと思います。

でも、「見えてしまう」ことでの問題もあるのでは。

例えば「○○ハラ」。最近、テレビや新聞が盛んに使っている印象です。もちろんセクハラやパワハラといった深刻な人権侵害に直結する言動があらわになり、撲滅に向かうのは良いことです。

ただ「スメハラ(臭い)」「ブラハラ(血液型)」「ヌーハラ(麺をすする音)」など、言葉があふれすぎていませんか。それまで許容範囲だったものが、急に問題視されてしまう。これはやりすぎかなと思います。言葉を扱う仕事として、常に「適用」を考えたいものです。

インフルは薬のおかげで早々に回復。これも認知度の高まりが医療を後押しした結果でしょう。とはいえ感染したら大変ですので、皆さんもどうぞお気をつけ下さい。

朝日新聞北海道報道センター次長 伊藤唯行

【写真説明】

インフルエンザ薬「イナビル」。おかげで早めに良くなりました